時系列は、パンゲ編の小説の「火の章」と「水の章」の間。
「水の章」では、『ピーターvs一本釣 in 水の大層』を予定しております。


誰が為に
 


  水の大層の宮殿の屋上の一角は、庭園になっている。空中庭園と言われている。そこからは、広大な領地を一望できる。四方を海に囲まれ、市街地には水路が毛細血管のように張り巡らされている。この豊かな都は、パンゲ全体を蝕む水不足とは無縁である。もしかしたら、パンゲの全ての水がここに集められてしまっているのかもしれない。異聖の力を得た水の大層の栄華。しかし、輝ける水の大層にも、決まりきったことに夜の闇は訪れる。世界を照らす、大いなる光の球は、空と海の境界線に沈もうとし、その際を赤く染め上げている。
 バンプピーターは、その赤い空に、一輪の赤いバラを重ねた。
 かつて満開のバラは、今は所々変色し、一枚の花びらがハラハラと揺れている。
 そのくたびれたバラに、ピーターは麗しい唇でもって接吻した。
 空中に放つ。形見のバラは一瞬にして干からびて、粉々になり、風に飛ばされ消えた。
 それが、ピーターの名をもつ彼女なりの別れの儀式であったのである。
 昼が夜に変じる。昼の最期の悲鳴をあげる赤い空を、やがて、藍色の闇が包み込む。静寂の夜だ。
 ピーターは待ち人が来たことに気づき、口を開いた。
「ねえ・・・。ボクらは何故、この世界で仲間になったのかね?」
 彼女は後ろを振り返った。
「ボクとキミとフッド。七人の仲間の内で、何故、ボクらだったのか?・・・キミだったら、その理由を正確に知っているのかもしれないけれど」
 視線の先のデュークアリババは、口を堅く結んだままである。
「ボクはこう信じているんだ。キミとの縁が、他の仲間よりも、ずっと深かったからだって。ボクには、昔の記憶がないけれどね」
 ピーターは目を細めて、小悪魔の微笑を投げかけた。
「遠い昔。一緒に罪を犯したのかもしれない。ボクらは共犯者だ。多分、今も、ね」
 ピーターの傍らに立つアリババの表情は相も変わらず氷のように冷たく、黙って空を見詰めている。一番星が光っていた。
 いつもアリババは決して多くを語らない。そして、語れない事情があることを、ピーターは心得ている。言葉は無くとも、最後に二人きりの時間を持てたことを、ピーターは心から満足している。
「ここを、かがり火で飾るよ・・・」
 ピーターは指をパチンと鳴らした。パッと火花がでた後、小さな火の玉が何も無いところに出現する。それが、自然と二つに分かれ、さらに分かれ、次々に増殖していき、宮殿の全体へと広がっていった。
「わざわざ、ここを訪ねてくる一本釣を、少しでも楽しませてあげなくてはね」
 無数の紅の炎が、宮殿の外壁を這うバラの花のように咲いた。
「一本釣はボクに任せてくれ。その時が来るまでは」
 ピーターはアリババの横顔を見詰めた。そして、口を開けて笑った。
「華々しい最期を頼もう!火の大層を滅ぼし、ボクの役目は既に終わった。そして、最後に、ボクはもう一つの仕事ができる、」
(キミのために!)
 と、言いかけた言葉を飲んだ。代わりに、伸ばした両腕で、そっとアリババを抱きしめた。ピーターは頭を彼の肩に置き、囁いた。
「ボクは、キミの方が心配なんだよ・・・」
 七人が仲間だった頃の記憶は無い。あるのは、今。バンプピーターとして、生きている自分だけである。自分が付き従ったアリババは、感情の無い操り人形の如く、水の大層の主に従い続けている。
 しかし、ピーターは知っている。凍った瞳の奥底に、強く輝く光があることを知っている。無表情な顔は、かつて笑顔がよく似合う顔だった。思い出せない。ただ、灰に散ったもう一人の自分が教えてくれる。本当の彼は、明るく優しく、真面目で照れ屋で、繊細で責任感が強いから自分を傷つけてしまう。けれど、他の誰よりも強い心を持っている・・・。
 ピーターは目を閉じて、抱きしめた体を感じた。
「どうか、キミの望みが、・・・夢が叶いますように」
 背伸びをすると、アリババの頬にキスをした。そして笑った。
「口紅。ちゃんと取ってから来るんだよ」
 バンプピーターは、軽やかに城壁に飛び乗ると、夜空へ飛びだした。