昔の話を聞かせて頂戴
オリンとアリババ


 もう寝付いた頃だと思っていたが、しくしくと聞こえる悲しげな泣き声はどうだろう。
 ベッドの中の少女は、頭からすっぽりと布団をかぶって、未だ泣いているらしかった。
 小さな体を小さく丸めて・・・。
 暗い寝室の、ベッドの脇のランプに光を灯し、「どうされました?」と声を掛ける。
 側の椅子に腰かけた、その人に、少女は布団をちょっとだけのけて、愛らしい顔を出した。まっすぐこちらを見詰める、つぶらな瞳は、涙で赤くなっている。
「・・・・・・やっぱり、・・・・・・聖梵インダストは、・・・可哀想よ・・・・・・」
 少女はたどたどしく、やっとの思いで、訴えを口にだす。
「・・・・・・死ぬために、生まれてくる命なんて・・・・・・」
 曼聖羅が曼聖羅として存在するための真実。
 姫様はそれを今日知ったばかりである。
 真の「彼の地」は、未だ見つかっていない。我らは永遠の地を求め続ける、放浪者たる。
 それでも、一時の安息を求めて、我らは仮の地に住み着く。
 彷徨う、光も何もない暗黒の世界に、一筋の水の流れを見いだすと、聖梵インダスト達は、そこに種を植えるのだ。
 命の種だ。
 種は無に根を下ろし、次々とインダスト達の体を突き破って芽をだす。そして、重なり積もる無数の骸の上に、一輪の蓮の花が咲く。やがて、輝ける蓮の花は空間を満たし、曼聖羅の世界が形作られるのだ。
 インダスト達は、その体でもって、曼聖羅の礎を築く。
「みんなのために、誰かが犠牲になるなんて、ダメよ!」
 姫様は、眉間に皺を寄せ、涙に濡れた可愛らしい目を、キッとつり上げた。
「明日、お母様に、そうはっきりと申し上げようと思うの」
 未だ、外界に出たこともない、ほんの小さな子供だが、この気の強さは、まさしく、お母上、メディア様譲りである。

「姫様」
 と諭すように、声を。
「聖梵インダスト達の犠牲がなければ、曼聖羅は存在できないのですよ」
「いいわよ。私は、こんなベッドがなくったって、どこでも眠れるわ。闇の中でも」
 と、姫様は気丈に答える。
「それでは、曼聖羅の民はどう致しましょう?無の世界では、長く生き続けることはできません。それに、姫様の成長のためには、清らかな水の流れがどうしても必要です」
 聖なる水を求める旅の途上で、姫様は未だ少しづつしか成長できていない。
「だから、もっとイヤなの!私は大きくならなくてイイ!ずっとこのまま、小さいままでイイの!」
 声を張り上げ、布団に顔をうずめた。声をだして泣く姫様に、優しく言う。
「姫様は、聖梵インダスト達が不幸だと考えているのですね」
「・・・・・・うん」
 しゃくり上げて、うなずく。
「インダスト達が姫様に、そう訴えたのですか?」
「・・・・・・ううん。だから・・・・、ずっと、ずっと、ツライの・・・・・・」
 顔を上げ、ごしごしと目元を拭いて、その人に向き直る。
「蓮の花から、生まれてきたばかりのインダスト達は、いつも私に笑ってくれる。そして、どこかに、すぐに消えてしまうの・・・。けど、帰ってこないで、みんな死んでしまうなんて。私、全然、知らなかった」
「姫様、インダスト達は、決して不幸ではありません」
「嘘よ!そう、みんなで思いたいだけだわ。自分達が酷いことをしてるって認めたくないから!」
 頬を真っ赤にして、強い意志を持った瞳をじっと、こちらに向けてくる。
「みんなのために、死ぬなんて!絶対に、可哀想だわ!!」
「誰でも、いつか必ず死にます」
 その人は、深く青い瞳で、少女の眼差しを静かに受け止めた。
「闇から生まれた光は、再び闇へと帰る。この世に現れた時から、我々は常に消える時へと向かっているのですよ」
 眉を下げ、うっすらと微笑み。
「その限られた時の中で・・・。自分が為すべきことを為すだけです」
 その人は座り直して、にっこり笑った。
「姫様。いつものように、昔の話でもしましょう」
 明るい声でそう言い、蓮の花の色をした、姫の髪を撫で、ベッドに横にさせた。
「遠い昔、・・・昔昔のお話です・・・」



「聖魔和合が果たされる前の一人の天使の話です」
「次界で、天使と悪魔が、未だ仲良く一緒に住んでいない時の話?」
 お気に入りの次界の話とくれば、涙顔も少しは明るくなるというもの。
「そうです。・・・・・・次界の大地は荒れ、天使と悪魔が果てしなき戦いに明け暮れていた時代・・・・・・」

 戦いの最中に負傷し、命を落とした天使がいました。天聖界に収容された彼は、たくさんの天使の力によって、奇跡的に蘇りました。が、以前と全く同じというわけにはいかなかった・・・。
 次界での戦いは、ますます激しさを増していきます。天聖界が聖フラダイスという領土を得れば、天魔界はその裏、逆エンパイヤーに大軍団を造り上げる。
 天聖天魔、両勢力のヘッドが集結し、いよいよ総力をあげた最終決戦の様相を呈してきた頃。
 天聖界で目覚めた彼は、すぐに次界へ、仲間の元へと飛んでいきたかった。しかし、それができずにいました。

「なんで?」
 布団を肩まで上げた姫が、無邪気に尋ねる。
「傷は完全に回復しておらず、天聖界のリーダー、スーパーゼウス様に、・・・ゼウス様のことは前にお話しましたよね・・・、戦場に赴くことを止められていたからです。しかし、それ以上に、彼自身が躊躇っていた」

 彼は、自分の無力を知っていました。蘇る際に失った理力だけでなく、他の仲間のようにパワーアップもしていない。
 今更、自分が戦いに加わったところで、単に足手まといになるだけではないか。それどころか、もし悪魔の手に落ちようものなら、かつて仲間を苦しめた惨劇を繰り返してしまうかもしれない。
 彼は次界に行くこともできず、悩み続けていました。けれど、ある時、気付いたのです。
『自分には、最早、十分に戦えるだけの力はない。しかし、命だけはある』

「彼は仲間の元へ行かねばならなかった。・・・・・・いや、どうしても行きたかった。彼は一欠片の希望を頼りに、ゼウス様のお許しを得ることもなく、一人、次界へと向かったのです」


 その人は、そこで一旦息をつき、静かになる。フワフワの枕に頭をうずめる姫は、催促するように、「それから、どうなったの?」
 何かを思い出すか如く、部屋の影を眺めていた。その視線を、その人は元に戻し、再び、口を開いた。

 初めて、足を踏み入れた次界は、彼が想像していた世界とは全く違っていました。長い旅の間、ずっと心に思い描いていた世界は、光が満ち溢れる美しい世界。幸福なる理想郷・・・。けれど、次界の奥へと、戦場に近付くにつれ、さらに荒涼とした不毛な世界が広がる。聖魔両方、お互いのお互いへの憎しみが、世界を傷つけ、穢しているようにも思えました。そして、この戦いの果てにこそ、必ずや平和が、豊かな世界を築くのだと・・・、築けるのだと信じました。

「戦場の只中で、彼は仲間と再会しました。久しぶりの再会であっても、仲間は彼を快く迎え入れてくれました。・・・・・・けれども、彼は予想通り、悪魔との戦闘において、全くの役立たずだった・・・・・・」

 天使と悪魔の激しい戦いに、荒れ狂う天蓋瀑布が降り注ぎます。
 未だ悪魔だったマリア様は、天魔界の総大将だったスーパーデビルを殺め、ロココ様にも刃を向けます。

「ワンダーマリアね!」
 と、姫様が相づちをうつ。

 マリア様とロココ様が対峙し、六聖球を宿しし剣が、無抵抗のロココ様に振り下ろされる。
 その時、彼女の手から六聖球が飛び散ったのです。六聖球は、猛スピードで、何処へと飛び去っていきます。
 仲間と彼は、それを追いかけました。しかし、六聖球は、時空の渦にのみこまれてしまった。
 彼は異界の扉を開ける力を持っていました。
 それで、彼は唯一残された、その力でもって、六聖球が消えた時空を開き、仲間を行かせ、その場に残りました。
 そして、迫り来る悪魔を前に、彼はありったけの理力を振りしぼり、命を爆発させたのです。

「・・・・・・・・・・・・死んじゃったの?」
 話終えたその人に、姫様は恐る恐る訊ねた。
「ええ。悪魔を道連れにして。体は粉々に砕け散り、魂は次界からはるか遠く、時空の彼方まで吹き飛ばされました」
「・・・・・・そんな・・・・・・」
 大粒の涙がぼろぼろ零れ落ちてくる。
「・・・・・・それじゃあ、死ぬために、次界に行ったみたいじゃない・・・・・・」
「・・・・・・」
 姫は身を乗り出して。
「なんで!なんで、彼の仲間は、彼を一人だけ置いていったの?!もう、戦えないって分かってたのなら、死んじゃうって!・・・仲間なのに!」
「彼の気持ちを察していたから。・・・・・・信じていてくれていた・・・・・・」
 その人は、そう呟き、
「姫様は、彼が不幸だったと思いますか?彼は自分が果たすべき役目をつとめあげたのです。自分だけが持つ力で、ようやく、みんなの役に立てた。助けとなれた。その命でもって、新世界の脅威ともなろう敵をも討ち取った」
 姫様は顔をしわくちゃにして抗議する。
「彼は自分の意志で行動したのです。自分が為すべきことを為した」
「そんなの!そんなの!でも、可哀想よ!」
 うわっと布団を頭からかぶる。エーンエンと大きな泣き声を上げる。山になった布団が泣き声と共に大きく揺れ動く。
「それで、」
 彼は目を閉じる。
「・・・・・・本望でした・・・・・・」

 夜の海に白い光が浮かぶ。丸い、純白の光。
 蓮の花は蕾。眠りにつく、その花を、光が優しく照らしている。
 闇の中にあってこそ、光は、その美しさを愛おしさを、さらに際だたせるのだろうか?
「姫様には知っていて欲しいのです。・・・遠く、近い未来。大いなる戦いのために」
 姫様は未だ泣きやまない。声をからして、なおも泣き続ける。
「何のために戦うのか。何のために存在するのか」
 泣く声が次第に弱々しくなる。
「自分の信じるものは何か。・・・・・・自分の信じるもののために・・・・・・」
 彼は布団の中の彼女をみつめた。
「姫様も、いつか・・・・・・」
 白く細い腕が布団の中から出てきて、彼の服の腕の裾をぎゅっと握った。
 震える、小さな声。
「・・・・・・死んじゃ、ヤ・・・・・・」
 彼は、にっこり微笑む。
「大丈夫。今は守るべきものがありますから・・・・・・」

 泣き疲れて眠る、微かな寝息が聞こえる。
 彼は、異聖神より授けられしマスクを再びつけた。
 柔らかい布団に手を当てる。
(お休みなさい。オリン姫)
 愛しげに目を細める。
 
 どうか、安らかな、夢を。


おわり