パンゲ編




 火の章 (8)


 
「私もハムラビ殿の考えに同感だ。なにも、刃を向けぬ者の相手など、わざわざすることはない」
 土の大層のフィアンは両手を広げ、ハムラビに言った。
「火の大層の攻略によって、事は決する。賢い風は時流を見誤らないだろう」
 向かいのゴーディや水の大層の臣下を見渡す。
「実際、風花妃の元にいる残りのパンゲアクターが脅威といえるだろうか?」
 アリババの冷たい横顔に手を伸べた。
「このアリババ殿の前に・・・」
 フィアンの様子は平時と変わらない。が、胸中。この場で初めてアリババを見た時、激しく動揺した。パンゲに出現した強い魔力の存在を感じてはいたが、これほどとは。
 他のパンゲアクターの理力を遥かに凌ぐのは確か。異聖神の力を授かり増力したハムラビ・シーゲル。主君のはずの彼をも勝るのでは?・・・・・・ナゼ?
 恐れはまた、彼の鋭い観察眼と分析力にかかれば、好奇心へと変貌もする。
 影のように。光の下で生まれ、あるじに取り憑く、不気味な黒い影のように。
(・・・ナニを考えている・・・・?)
 何も喋らず、表情も変えず。フィアンは不動なるアリババを垣間見る。
(伝説の若神子の成れの果てが、『悪魔の中の悪魔』)
 フッと、一人笑をもらす。
(まあ、フッドを悪魔に変えた俺に言える義理ではないか)

「敢えて、問題視するのであれば、ハムラビ殿。アナタと同属性の一本釣だろう」
 フィアンは玉座のハムラビを見上げた。
「どうやらパンゲアクターの力は、属する大層の力と連動しているようだ。大層が繁栄すれば力は増すし、大層が衰退すれば力は減る」
 滅びの大層、金の大層が牛若の一件が、それを物語る・・・。
「ハムラビ殿の力を受けている一本釣。少々厄介だ」
(恩知らずの一本釣!)
 ハムラビは、かつて一本釣を救い、尚且つ、この手で増力させてやったことを苦く思い返す。
「一本釣の件は私に任せてもらえれば良い」
「そうさせて頂くのが、懸命でしょうな」
 前に向き直るフィアンと。ハムラビは思う。
(ヤツはどのみち、近々、水の大層にやって来る・・・・・・)

「で。ハムラビ殿。火の大層の攻略はどうされるおつもりか?」
 ゴーディが問う。
「アリババ殿を総大将に、我ら、一同に介し、火の大層に総攻撃を仕掛けるのか?」
「いや」
 ハムラビは薄く笑んだ。
「ゴーディ殿や、土の大層の方々の手を煩わせはしない。我が大層の戦士も派遣はしない。火の大層の攻略は、アリババに任せる」
「一人で?」
 怪訝な顔をするフィアンに、頭をハムラビに下げたまま、ピーターが答える。
「不肖なる火の大層を代表しまして、僕も。・・・僕と僕の配下の者も共に出撃いたします」
「これはアリババからの申し出だ」
 と、ハムラビが続けた。
「アリババよ。火の大層の攻略は一筋縄ではいかんぞ」
 ハムラビは彼を見遣って言った。
「火の大層を覆う、『猛炎の天幕』、炎の結界を破りし後も。火の大層の民は皆、炎の戦士。大地から炎が噴出す、灼熱の彼の地の如く。熱く、荒ぶる猛者どもが集う。まさに、戦いしか知らぬような連中だ。火の兄弟を守る、三味一体、炎の三巨兵も未だ健在。ドス・オックス兄弟も名うての戦士。狂戦士どもを力で制し、王に伸上がった連中だ」
 ハムラビが一旦、口を閉じる。そして、
「しかし、アリババ。私はお前の勝利を確信している。但し、火の大層を滅ぼすのであれば、」
 眉をあげ、声に力が入る。
「猛炎の地を迅速に完全に制圧せよ。愚かな炎の兄弟に情けは不要!」
 アリババが徐に顔をあげる。赤い瞳が前を見据える。
「魔界君主たるお前の力を、このパンゲ全土にしらしめよ!」



 高みを目指し昇る陽も、やがては降り始める。昼下がり、風の宮殿。
 中層建ての赤茶けた外壁の幾十にも連なる窓の一つから、望むのは、風の大層の主シス・ウィンディ。そして、ベッド。彼女はヤマトの部屋の窓のレースのカーテンを引く。カーテン越しに射し込むオレンジ色の昼の光は、ヤマトが眠るベッドの足から腰のあたりまで伸びている。シスはベッドのすぐ脇につけた木の椅子に腰掛けた。
 あれからずっと眠ったまま。
 静かに仰向けに横になる。包帯を巻いている、ヤマトは。苦しそうな顔をしている。
(夢を見ているのか・・・)
 シスは影になっているヤマトの寝顔をまじまじと眺める。
(悪い夢)
 シスは眉をひそめ、ヤマトの布団に、そっと手をあてる。胸が痛い。
 布団には美しい絵が刺繍されている。春の色鮮やかな花が一面に咲いている。
 風玉から、温かい風がふわりと吹く。風玉はシスの理力で練り上げられたもので、両手で覆えるほどの黄色の丸い玉が、ベッドの側のチェストの上に置かれている。風玉には種類があり、凍える北風や熱い南風を生むものもある。今は、人肌ほどに温かい、東風であろうか。
 シスは口ずさむ。歌を。春の歌。ヤマトの眠りの邪魔にならぬほどの小声で。しかし、美しき透き通った歌声。
 それは春を迎える歌である。厳しく寒い冬が終わり、草木の芽が芽生える喜びを祝福する歌である。春の祝祭の折、風の大層の民は、このシスの歌に祝福されつつ、種を蒔く。
 歌は歌う。
 『冬将軍の戦いの日々は去った。始まりを告げる、愛しい戦士が故郷に帰臥する』

 シスの歌は花を咲かせる。赤や黄や青い花びらが、ひらひらとヤマトの部屋に舞う。漂う花びらが床に落ちれば、花びらは幻のようにスウと消える。藍色の花びらがヤマトの布団に触れた。
 ヤマトの寝顔から苦しみの色が消えた。
 安らかな表情に安堵しつつ、シスは静かに歌を結ぶ。
 一度、ヤマトの布団を優しく撫でて、椅子から立ち上がった。部屋に残すのは、隠していたヤマトの武器と防具。目覚めた時、すぐに仲間の元へと戻れるように。

 ヤマトの部屋から出て自室に戻ろうとしていたシスを子供が呼び止めた。
「姉さま!姉さま!大変です!」
 ひどく血相を変えて、姉にひしと飛びついてくる。
「ヤマト様や、ダンジャック様、一本釣様がここにいることがバレタようなんです!昨日、風穴を皆さまが通っていくのを、水の大層の者が目撃していただとか!姉さま!どうしましょう!」
 シスが下の子の頭に手を置き、優しく語るには。
「落ち着きなさい。あれは、私がわざと風穴を見せたのです」
「姉さま?!」
 子供は目を大きくまん丸として、姉を見上げる。シスは子供の背に手をまわし、ヤマトの部屋から離れるように、二人一緒に歩みだす。シスは厳しい表情を浮かべた。
「それが私からハムラビへの宣戦布告なのだから」



 9に続く