「火の大層にはピーターを。土の大層には、フッドを向かわせました」
この忠実なる下僕は、いつも簡潔に。問われた問に、必要な返事しか返さぬ。
「火の大層に、依然として降伏の気配は無しか?」
「はい」
ハムラビはゆがめた口角を上げる。
「己が滅しようとも、水の大層には断固従わぬか。我が水の大層と火の大層は、かねてより最も敵対し合う仲。火の大層には、燃え盛る炎を心に抱く、強者共が集う。自ら滅びし惰弱な金の大層の如くには、簡単に陥落せぬ」
そして、本来、火の大層を守護し者は、あやつり糸により、我が配下に。或いは、このアリババに付き従う・・・。
「身から出た錆だな。味方にすべく悪魔に変えたピーターに、逆に滅ぼされる羽目になる。しかし、同一の属性ゆえ、ピーターが火の大層の兄弟を諸共に討ち取るのは、骨が折れるのでは?」
「火の大層を覆いし『猛炎の天幕』を、ピーターが破り次第、私も出撃致します」
これで、火の大層の無駄な足掻きも、後わずか。
「土の大層フィアン殿は?未だ、アノ気配に気付いていないか?」
「そのようです」
ハムラビはテーブルの上のバスケットを引き寄せ、手元に。
「フィアン殿は土の大層の最深部に張り付いたまま。・・・この件、フィアン殿に悟られぬよう、フッドに言い渡しております」
「土の大層にうずめく、この奇妙な気配に気付かぬほど。本格的に、フィアン殿は『穴掘り』に夢中のようだ」
バスケットの葡萄を一粒、つまむ。淡い緑色の果実を、口につける。
「異層空口に心を囚われ、己の足下から、すくわれぬことだな」
葡萄の皮を皿に置く。
「森の大層、・・・・・・風の大層に動きはあるか?」
「森の大層は、風の大層と同盟を約してより、大森林の奥深くから、姿を一向に見せません」
「静かなる傍観者。狡猾なる森の賢者・・・。敢えて戦いに加わらず、他の大層を争わせ、弱体化して後、中核を目指すか」
森と風の同盟は不可侵の約定。共闘という訳ではない。
「生い茂る、森の迷路に引き籠もられても、厄介。豊かな森を彼等のためだけに、海中に沈めるは惜しい。何とか、表に引きずり出せぬものか」
眉間に眉を寄せる。
「それに、」とハムラビ。
「我が水の大層の力を奪いし、一本釣。ヤツを早く仕留めねばならぬ」
この美しき、我が大層を戦場にせぬために。
すでに牛若を失いし彼等。残りのパンゲアクターは三人。
彼等は、風の大層、風花妃の庇護の元にある。
(麗しき、風の大層が女王。風花妃シスよ・・・・・・。風の如く自由に、とらえどころの無い貴女は、一体、何を考えている?)
「火の大層さえ落とせば、あの風花妃も、素直に我に従う気になろう・・・・・・」
・・・・・・凪げば聖鏡。泉園の地・・・・・・・。
テラスの下に望む大海。ハムラビは海に視線を流す。
水の大層を囲む大海原は、波の無い日、鏡のように光り輝く。澄み切った水面は、奥深くに秘められた、己の心をも映し出す。
(今日の海は、あの日のように、静かだ・・・・・・)
ハムラビは思う。そのために、ふと思い出したのだ。
全ての運命の始まりの日を。
「・・・アリババ・・・。お前も数奇な運命を辿ってきたものだな。お前の魂は、様々な世界を流転してきた・・・・・・」
心、此処に在らずの一人言のように呟き、長椅子より体を上げたハムラビは、アリババと向き合う。
「アリババ。曼聖羅とは、どのような所だ?勿論、現在の曼聖羅、だ」
足下に控えるアリババに訊く。
「異星メディサが私に与えた記憶は、遙か太古の曼聖羅の姿のみ。彼はメディア様とナディア様が和解したことすら知らぬまま、逝ったのだ。誕生時に与えられし、使命だけを貫き。お前なら、今の曼聖羅を知っていよう。新河系の一部となった曼聖羅をだ」
「・・・・・・」
アリババは答えない。
ハムラビは、アリババを鋭く睨み、
「お前にとって、曼聖羅とは何か?!」
と、重ねて訊く。
ピクリとも身じろぎもせず、無反応のアリババに、彼は強く命令した。
「答えろ。沈黙は許さぬ」
徐に、アリババが口を開く。
「故郷・・・・・・。第二の」
面すら上げずに。
「慈悲深き、メディア様に与えられた、この体ゆえに」
抑揚のない単調な応え。フンッとハムラビは嘲り鼻を鳴らす。
「しかし、とどのつまり、お前は悪魔にされ、曼聖羅に利用されている」
「・・・・・・」
「悔しくはないのか!他者に利用される命など」
眉をつり上げるハムラビに、アリババは、ただ。
「・・・・・・護るべきもののためならば、・・・・・・」
ハムラビは再び、長椅子に体を預けた。
此の者に、何を言っても、無駄ということを・・・。
(どうも、私は感傷的になっている。あのような幻を。束の間、夢を見たからだ・・・・・・)
「アリババ、私は未だ迷っている・・・・・・」
溜息を、ハムラビは吐き、ぷいと顔を反らす。
「この私が乱れたパンゲを統一し、一つの王国と為す。・・・・・・第二の曼聖羅として・・・・・・」
この虚しき戦いを制し、中核を目覚めさせ、生み出される新しき世界とは?第二の曼聖羅とは、如何なる世界なのか?
分からぬ。
しかし、すでに流れ出した水は、止まることを知らぬ・・・・・・。
ハムラビは海を見る。
子供の時から、そうだった。海の水平線を見やれば。
この海の彼方、パンゲとは遙か遠い世界。彼は、彼の地に思いを馳せる。
彼の地より招かれた、此の者。
天使として生を受けながら、悪魔に。そして、曼聖羅へと。
聖魔大戦。次界探索。聖魔和合。次界、新河系の創造・・・。
此の者は、彼の世界の、天使と悪魔の、壮大なる戦いと和合の歴史を見てきたのだ。
その大いなる聖魔の歴史を、当事者であり、数少ない生き証人である、こいつの口から、是非聞きたいものだ。
さぞや、この胸を熱くさせる冒険譚に違いあるまい。
しかし、あやつり糸の傀儡たる此の者は、創聖使影が入力した、ありきたりな返事を返すのみ・・・・・・。
「アリババ。曼聖羅の名の元、あやつり糸などなくとも。・・・・・・お前は私の部下になってくれたのだろうか・・・・・・?」
アリババは何も答えない。
ハムラビは、心にふと湧いた自分の意外な想いと、自分が思わず発してしまった愚かな言葉に、自身でひどく呆れ果て、急に嫌気がさすと、アリババに背を向けた。
「もう良い。下がれ」
終
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