パンゲ編




 金の章 (10)



 牛若は金剛壁に手を触れた。
 微かに色づいた透明な壁を通して、外の世界が見える。
 地平線上にある丸くて大きな夕日は赤い。
 夕日は、空を流れる雲を一つ一つ鮮やかに染め上げ、見渡す限り土と岩だけの不毛な大地さえも、明るく照らしていた。
(金色だ)
 束の間の、夜を迎える前の最後の輝きのようだ、と、牛若には思えた。
 はじめはこの壁を、牛若はすぐに破壊するつもりだった。追いつかれでもして、それを阻まれては、元も子もないからだ。
 しかし、牛若には最後に伝えたいことがあった。
 その時間ぐらいは、彼女も与えてくれるだろうと思った。

 程なく、ゴーディはそこに来た。牛若は金剛壁を背にして彼女と向き合った。彼女の後ろ、少し離れた所にアリババもいる。
「ゴーディ・・・」
 穏やかに牛若は、剣を向ける彼女に呼び掛けた。
「伝えたいことがある。・・・最後に一つだけ・・・」
 牛若の目に悲しみが宿る。
「同じ金の系として」
 牛若は両手を後ろの金剛壁にあてた。
「・・・・・・私は、アナタの力にもなりたかった・・・・・・」
 牛若の体が黄金色に燃え上がる。残った全ての理力を両手を通して、一気に壁にぶつける。
(バカな!)
 ゴーディは大きく目を見開き、怒りを剥き出しにして、牛若を見た。
 大層の結界として張られた最後の金剛壁を破る方法は二つ。結界をはった張本人である、金の主人たるゴーディが死ぬか。同等の力をもつ、金の守護者たる牛若が死ぬか。金の大層の都をすっぽり覆うほどの巨大なバリヤを破壊するには、それに見合うだけの、金の系に属す巨大な理力が必要である。牛若は、それを承知で、自らの命を投げ出すというのか。自分と戦い、殺めることを考えずに。
(バカなっ!!)
 牛若の体がさらに強く輝く。理力の全てを放出する。
 牛若が触れる辺りから、キンッと鋭く尖った甲高い音が響き、大きな亀裂が広く四方に走る。
 その時。一陣の風が吹いた。ゴーディの横を影が一瞬にして通り過ぎた。
 ドンと鈍い音がして。
 アリババの大剣が牛若の腹部を貫いた。

「牛若!」
 自分の視界に、豆粒のような牛若を捉えたとき、ヤマトは力の限り叫んだ。
 牛若はバリヤを背にして、ゴーディと、そしてアリババに囲まれていた。
 ヤマトはライドにさらに理力を注ぎ、速度を加速させた。
 間に合え!間に合ってくれ!
 確実に、その距離を縮めていくなか、牛若の体が黄金色に輝いた。牛若が自分の全理力を使って、バリヤを破壊しようとしているのは、ヤマトにも容易に想像できた。
 金の大層と外の世界を隔てるバリヤにヒビが入った時、ヤマトの呼吸が止まった。全身に冷たいものが一挙にはしり、凍りついた。
 自分が見ているものに。
 牛若の体に深々と突き刺さった大剣。体を貫いた大剣の切っ先が、牛若の背中から覗く。
「牛若あああ!!」
 ヤマトは叫んだ。
 牛若を貫いた大剣を握る人物。ヤマトは再び、言葉にならない声で叫んだ。
 未だ遠くにある光景へと、ライドから飛び出そうとするヤマト。が、それは出来なかった。
 ライドに乗っているヤマトを、メンゴクウが上から飛びついて押し倒した。ヤマトをうつ伏せに倒し、ヤマトの上に乗っかって、メンゴクウは声を張り上げたのだ。
「いけません!ヤマト様!いけません!」
 メンゴクウはありったけの力で、ヤマトを押さえ込む。ライドの端を一方の手と足でギュッと掴み、ヤマトをがむしゃらに押さえつける。
 すでにヤマトには、それを跳ね除ける力は無い。
「牛若あああ!」
 ヤマトは絶叫し、二人を乗せたライドは、今は、完全に破壊されたバリヤを突破した。外の世界に飛びだし、金の大層から離れていく。
 壊されたバリヤは金色の細かい欠片となって、空から降り注いでいる。燐片状に散った欠片が、雪のようにひらひらと空に舞っている。

「・・・・アリ・・ババ・・・・」
 牛若は間近にアリババを見た。すぐ目の前のアリババの顔に、夕日が光と影をおとしていた。物言わぬ冷たい無機質な目元に、固く閉ざされた口元に。
 それでも、牛若は懐かしく思った。その美しい顔は紛れも無くアリババだった。たとえ、悪魔の険しい形相を帯びていたとしても。遠い昔に別れたアリババの面影は、確かにそこに残っている。
 牛若は自分の体を貫いている剣の感触を感じる。研ぎ澄まされた刃が皮膚と肉を切り裂き、体の中央の奥深くに潜り込んでいる。
 けれど、もう大丈夫。バリヤは破られた。確実な手応えと共に、大きな亀裂が走り、金剛壁はすでに崩壊を始めている。
 ヤマトはここから逃げられるだろう。
 自分の役目は終わったのだ・・・・。
 正気に戻った時のアリババの嘆きを考えると、牛若はとても辛かった。
 仲間の姿が次々に浮かんでは消える。このパンゲで巡り合った大切な人々。愛すべき人。
「アリババ・・・・」
 牛若は血が滴る口元で微笑んだ。細めた目から、ひとすじの涙が頬を伝った。
「・・・大丈夫・・・。・・・・ヤマト達が、・・・きっとアナタを助けてくれますよ・・・・・」
 牛若の体が白く発光する。空から降り注ぐ金剛壁の欠片が黄金色の霞をつくる。そして、光にかき消されるようにして、牛若の体が消えた。後には、黄金の光を放つ輝ける球体が残る。
 アリババは大剣を降ろし、剣を持たぬ方の手で、球体に手を差し伸べる。それは、野原に咲く黄色の花のように、可憐でとても優しい光だった。
 アリババは、それを胸元まで引き寄せると、黄色の球体はアリババの胸の内に吸い込まれていった。
「アリババ様!ヤマトが逃げます!」
 ゴーディが、金剛壁の崩壊に乗じて脱出したヤマト達に気付く。ものすごい速さで、金の大層から離れいくヤマト達を、追おうとするゴーディ。彼女を、アリババが片腕を広げて止めた。
「ガーメ」
 アリババが呼ばう。
「ハイ。此処に・・・」
 皮膚は黄緑で青い目。カメのような面妖な面構えで、甲羅を背負った悪魔らしき戦士が突如出現する。それは、石魔戦隊が一人を名乗るガーメ。
「奴等の後を追え・・。逃げ込む先を突き止めろ」
「御意」
 淡々と命じたアリババに従い、ガーメは姿をくらます。

 アリババは空を飛び始めた。ゴーディが後に続く。
 完全に破壊された金の大層の宮殿。
 そこに降り立ったアリババは、天井を無くした広間から空を仰ぎ見る。
 陽が落ちたばかりの空。藍色の空。星は見えない。
 少し歩いて、瓦礫に混じった中から、あるものを拾い上げた。
 聖笛の割れた片方。
 いきなりアリババは大剣を上に掲げ、一息にそれを横に振り抜いた。
 アリババの後ろにいたゴーディは、余りに突然のことに、アリババの剣の剣圧を、剣が巻き起こした凄まじき突風を避けることができなかったが、それはゴーディを切り裂くことはなく、二人を囲んでいた瓦礫の山を打ち砕いた。塵煙が立ち昇る中に、平地となったその所に、六つの影が見える。
「誰だ!」
 と叫ぶゴーディに、六つの黒い影はゆらゆらと揺れる・・・・。薄気味悪い声が夜を迎えようとする金の大層に響く。
『・・・・・・・我等、・・・・・魔界君主の誕生を、・・・祝福せん・・・・・・・』
『・・・選ばれし、天使の血の力は集い・・・、王力は覚醒した・・・・』
『 ・・・・デュークの称号を受けし者に、・・・・我の戦角ボーンを・・・』
『・・・・・・12竜魔鬼を宿せし鎧は、パンゲに、真の恐怖をもたらそう・・・・・』
『・・・・・・・・さあ、異聖の系子、・・・正統なるパンゲの王たるハムラビ様が、お待ちかねじゃ・・・・・・・・・』
(創聖使影どもが!)
 ゴーディはギリリと歯ぎしりをした。遠巻きに円状になって、二人を取り囲む六つの影。
(この私の!金の大層にまで付いて来るとは!)
 夜の冷たい風が吹き、影はふうっと去った。
 アリババは手の中の聖笛の片方を垣間見て、その手に力を込めた。粉々に砕けた聖笛は、チラチラと星屑に変わって、光を失い、地面に落ちた。
 静かになった。
「アリババ様?」
 ゴーディは、アリババが何を拾い上げていたのか、気付いていない。アリババを気遣うように近くに寄ると、アリババはマントを翻し膝をつき、ゴーディの左足に触れた。
 ゴーディはその場に立ち尽くしてしまい、彼女の膝下にあてるアリババの手が淡く白く光る。すぐにアリババは立ち上がり、彼女は自分の体が軽くなっていることを感じた。体の傷が治り、理力が戻っている。特に一番深かった牛若との戦いで負った傷、包帯で止血をしていた足の怪我もすっかり治っていた。
(アリババ様・・・・・・)
 ゴーディは少し頬を赤くして、アリババの後姿を見詰めた。
(・・・お側に、・・・・・・・)



「火の章」に続く