そのオトコは、全て欲しいと言った。
(バッカじゃない)と、アリは心の内で一笑に付した。
ディアナ様が最もキライなタイプだな、と思った。
高慢で自意識過剰。何でも自分の思い通りにいくと思っている。
コイツは弱さを知らないし、他人の弱さを理解する気もサラサラない。
ひたすら自分の『夢』に、・・・いや、自分の『意思』に忠実に行動するだけである。
邪魔なものは力で排除すればいい。そして、それができるのだ。
しかし、アリは魔神子にさえ怯みはしない。こう強く言い放った。
「異彩姫をこれ以上傷つけたら、アタシが許さない」
自分の力では到底、コイツに敵わないことは知っている。七人で力を合わせたとしても、この欲深い「ゴウツクバリ」を止めることはできないだろう。
だから、超聖神様は、弱い方に狙いを定めた。それが、神が愛する無駄を排した合理的手法である。
けれど勝てぬからといって、尻尾を振り振り、媚びへつらえとでもいうのか。自分の意思を曲げろとでもいうのか。たとえ滅せようとも、心の自由だけは奪えない。それだけが弱者の意地であり、誇りだ。
魔神子ディドスは椅子に座っている。ディドスが座れば玉座となる。
左脚だけを座面に乗せ、その腿に左肘を置く。腰を少し屈み、左手を考えるように口元に添えている。
さっきから、猫の瞳でアリをジイと見下ろしている。灯りを消した夜のことだから、薄暗い闇に、赤い光が2つ、ボウと輝く。妖しげなロウソクの炎だ。そして、不気味にプツプツと燃えくすぶる、ディドスの肩掛けの毛皮の炎。
アリの背中に生えた黄金色の翼だけが、白く優しい光を放ち、アリの心を勇気付けている。
ディドスは口を開いた。
「そんな熱い瞳を向けられては困ってしまう」
穏やかだった。野蛮な本性を持ちながら、まるで聖人のような声色で。
アリの文句を一通り聞いて、今度はこちらの番ということだ。
「キミは優しいね。でも、お節介が過ぎるところがあるかもしれない。傷つくかどうかは、彼女が決めることだ」
(悪党の言い訳だ!)
キッと、アリはディドスを睨んだ。ディドスの美しい額に刻まれつつある魔の刻印。時々、子供のように無邪気な微笑みを見せるのが、より腹立たしいのだ。
「キミは彼女を幸せにしたいと望んでいる。でも、幸せを望むのは彼女自身だ」
「お前は自分のしたコトの責任を考えないのか!」
「キミがここで一生懸命ガンバッタところで、彼女は幸せになる?」
「はぐらかすな!」
「アリ!」
柔和な態度は急変し、荒々しい獣の一声に、アリは一瞬にして言葉を失った。 動けなくなった相手に安心し、恐ろしい形相をすぐさま影に潜めたディドスは。
「こうも威嚇ばかり続けられては、話したいことも話せない。ワタシはキミに、嫌われたいとは思ってはいないし、キミに嫌われて当然だとも思っていないよ」
と、微笑した。
ディドスは立ち上がった。ふわりと体を浮き上がらせた。無数の黒い羽根が宙に散らばり、闇に溶けていく。
段下のアリの元に降りてきて、二人は正面から向き合った。
「アリ。真実とは、いつもシンプルなものだよ」
真っ直ぐなアリの視線から逃れるどころか、ディドスは真っ直ぐに浅黒い肌をもつ顔を近づけてくる。
「私は彼女を求めた。そして、彼女も私を求めた」
ディドスの大きな手が、アリの右肩に置かれた。小さな肩はすっぽりと覆われてしまい、骨張った手の感触と奇妙な生温さが、布を着けぬ肌から伝わってきた。
目の前に、はだける厚い胸板。骨格は逞しく、隆々たる筋肉。
アリは突如湧き上がった正体不明のモヤモヤに酷く苛立ってくる。
ソレを的確に表現できる言葉を、アリは見つけられない。ただ明らかに分かるのは、ソレは自分とは全く異質の存在。言葉を見出せないのもムリはない。それは、この世界に、あるようでないもの。つまり、コイツはオスなのだ。
ディドスは口を、アリの耳元に近づける。ディドスの耳についた六角形のピアスがキラリと眩暈をおこすように揺れた。優しく、囁く。
「キミが従うカミとはダレ?」
熱い吐息に、胸がざわつく。
「ワタシとカミは、ドコがチガウ?」
アリは身をよじり、飛び跳ねた。ディドスのもう一つの手が、アリのもう片方の肩を捉えようとするのを察知して。
後方へ、ディドスから距離を置いた。2つの剣を抜いていた。
ディドスは手持ちぶたさに、両腕を少し広げる。差し出した腕の中にはおさまらぬ。
「キミには凶暴な剣がよく似合うね。曼樹羅の、夢の戦士」
肉食動物が、群れからはぐれた草食動物を、草原に寝そべりでもしながら愛でている。そんな物好きは一時のことであって、腹が空けば躊躇いもなく、残忍な爪と牙でもって獲物の体を切り裂くだろう。自分の腹を満たすがために。
戦うことに全く意味が無いことは、アリにも分かっている。
でもコイツにだけは、研ぎ澄ました爪と牙を!皮膚と肉を切り裂く刃を、向けねば気がすまぬのだ。
ディドスは手をおろした。薄い笑みは絶やさぬままに。常時まとわりつく闇が、ディドスの全身を覆っていく。それは、この場から立ち去ろうというシグナル。体を強張らせたままのアリを哀れにでも思ったのだろうか。
残すところ、後わずかの。ディドスの炎の目が最後に言葉を置いていく。
「ワタシは欲し、キミは望む。求めることに変わりがあろうか?」
夜の小道を一人で歩く姿がある。
肩を落とし、とぼとぼと歩く様があまりにも可哀想で、空に浮かぶピエトロは、後ろからソロリソロリと後をつけている。でも、気落ちしているとはいえ、いつも通りだ、感づかれてアリが振り返る。
いつもと違うといえば、照れを隠すために、ほほえましい悪態をついてくるものなのに、今日は、輝きの暗い瞳でもって、言葉もなくピエトロを見つめていること。
ピエトロは控えめに聞いてみた。
「アリ、抱っこしてもいい?」
「うん」
アリは気にも留めないように認めた。
ピエトロは一度地面に降りてから、スッと背伸びをするように少しだけ浮いて。両腕をアリの背中にまわした。キュッと引き寄せた。
アリも、ピエトロの背中に両手を添えた。
くっついた互いの柔らかい体が、とても暖かく感じられた。
「・・・安心するね。こうしてると」
ややあって、ピエトロが言えば、「うん」とアリは弱弱しく答える。
そして、心を満たす想いを打ち明けた。
「・・・・アタシの姫様はどうなってしまうんだろう・・・」
正統の御印は異端の烙印に変わった。真に残酷たるは神の気紛れである。
闇に消されようとするヒカリは、静かにその運命を受け入れるだけなのだろうか。
アリは目をつぶり、ピエトロの肩に額をうずめるに。
「・・・なんで、ダレかを求めるんだろう・・・」
二人の姫は同じモノを共に求め、共に傷ついた。バッドエンドを宣告されながら、呼吸をするのを忘れられぬように、彼女達は拒むことができなかった。
まるで砂地獄のようだ。もがいてももがいても逃れられない。哀れな餌食は、決して叶わぬ希望にしがみつく残酷な時間だけを与えられ、実は、既に定まった奈落へと真っ直ぐに落ちていくだけなのである。
「ヒトリでいるのは寂しいからだと思う」
アリは耳元のピエトロの答えが、自分とは無関係の世界のことのように聞こえた。
そのような世界に、自分の姿を見いだせないのだ。
(アタシは永遠にヒトリだ)
というおぼろげで、しかし、心の奥底にこびりついている確信めいたものがある。
かつて騎神子が手にしていた聖球。そこに浮かび上がりしソライの真理を覗き込んだ。そして、その先の未来は?パッと騎神子は目を閉じる。突然、恐怖が襲い掛かった。決して見てはいけない。触れてはならない。好奇心が引き起こす悲劇の予感に慄いた。ピエトロが言う。
「自分とは違うモノを求める。自分に無いモノを求める。自分に欠けている何か。自分の中の空白を埋める・・・」
こうして抱き合えば安心する。自分は一人ぼっちではないと思えてくる。
でも、所詮はヒトリではないか。
夢から覚めればヒトリ。
(異彩姫が遺したヒカリは、ワタシの聖夢幻で守る)
と、アリは心に決めた言葉を呪文のように繰り返す。
(アタシの世界で育てるんだ)
アタシの姫様と、あのオトコの因子をもつヒカリが、何なのか?
二つの因子が重なった時、一体、何が産み出されたのか?
アケロ、アケロ、ソノトビラヲアケロ
コレは好奇心だ。
おわり
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