パンゲ編




 火の章 (3)



 目を覚ましたヤマトは、ベッドの上で横たわる自分を認めた。
 柔らかい暖色の明かりがぽつねんと燈るだけの薄暗い天井に、布団から出した右手を掲げれば、傷ついた指先一本一本に丁寧に包帯が巻かれている。
 痛む体をおして寝返りをうち、周囲を観察してみれば、どうやら風の大層の宮殿の一室のようである。縦長の窓にかけられたカーテンの向こうからもれる光はなく、夜である。音は無い。
 ヤマトは大きな枕に顔をおしつけて、その柔らかさを確かめた後、名残を惜しむことなくベッドから這い出た。
 防具と武器はどこか別の場所に保管されているようである。木のドアを開ける。
 左右にドアが幾つも並ぶ、見覚えのない廊下を歩いていき、自分を起こした気配のある方へと進む。奪われた理力は満足に戻っておらず、覚束ない足取りながら、ヤマトが思うことは一つである。
『自分の責任を果たさなければならない』
 声が廊下の先から聞こえてきた。近づいていく廊下の終着点にあるドアの向こうから。
 ぼそぼそと聞こえて何を話しているのか分からないが、これはシスの声。
 そして、ヤマトが探していた一本釣の声。
「なぜ!」
 ヤマトは彼等と自分を隔てるドアの前で立ち止まった。
「なんで牛若が死んだんだ!」
 さっとヤマトの胸が凍りつく。頭の中が真っ白になる。
 息が苦しくなり、ヤマトは堪らず、ドアに体をもたれて目をつぶった。
 自分に代わって二人に説明をする淡々としたシスの声が、まるで別の世界の出来事のように遠くに聞こえ、通り過ぎていく。
「アリババ殿が牛若殿を殺したのです」
 止め処なく、涙が溢れて流れていた。

 シスの話を聞き終えた一本釣は、黒い影が落ちる壁の方に顔を背けた。
 ややあってから、「シス」と呼びかけた。
 視線を向けたシスに、彼はシスの方を見ようともせず、まるで何かを恐れるように、とても暗い声で尋ねた。
「・・・・もしかしたらアンタは、アリババを悪魔にしたヤツが誰か知っているのか・・・?」
「ええ・・・・。おそらく・・・・」
 シスは感情を見せずに答える。
「メンゴクウが直接聞いたところによると、アリババ殿はこう告げたそうです」
 『・・・・ハムラビ・シーゲルの意思に逆らう者は全て排除する・・・・』
 一本釣は深く大きく息を吐いて、拳を強く握り締めた。
「・・・・・・。それだけ聞けば、十分だ・・・・・・」
 シスは一呼吸置いてから、肩から落ちていたショールを上に引き寄せ、
「私からお話できるのは、以上です」
 と、話を結んだ。
「申し訳ございませんでした!」
 と、メンゴクウがいきなり、一本釣とダンジャックの前に飛び込んでくる。
 床に膝つき手をついて、包帯が巻かれた頭をひたすら下げた。
「おいらが勝手な行動をしたばかりに、牛若様が!牛若様はおいらを助けるためにっ。一人、犠牲になられて。おいらのっ、おいらのせいなんです!」
 たまらぬように声を張り上げ、二人に深々と土下座をするメンゴクウの体は、泣きじゃくって震える。風の大層が主、シスはメンゴクウの後ろにあって眉を顰めた。
「・・・メンゴクウ・・・」
 メンゴクウは自分の主の、よく通った澄んだ声にハタと我にかえり、自分の出過ぎた真似に気付いた。「・・・申し訳ございません・・・」と、消え入るように最後にもう一度だけ謝り、小さくなった。
 シスの背後でドアがカチャリと鳴った。
 開いたドアの向こうに、ヤマトが立っていた。

「ヤマト!」
 部屋に入ってきたヤマトの元に、一本釣とダンジャックが駆け寄る。
 シスはヤマトを見ずに前を向いた。
 一本釣がヤマトの両肩を握る。正面から彼の顔を見詰める。
 ヤマトの顔には生気がなく、首に巻かれた包帯が痛々しい。ヤマトの目元は赤く腫れ、目には、いつもの確固とした意思の強さを残せども潤んでいた。
「・・・シスから、話は聞いた・・・」
 一本釣は搾り出すような声をだし、ヤマトの肩を握る手に力がはいる。
 ヤマトは一本釣の目を見て、一本釣はヤマトの目を見る。
 一挙に、一本釣の目から、大粒の涙が溢れ出した。一本釣は一語一語を、噛締めて言った。
「・・・・牛若は、もう、・・・・いないんだな・・・・・・」
 一本釣は頭を下げ、ヤマトの肩に額をおく。そして背を丸めて、おいおいと泣き出した。堰を切ったように、声をあげて泣いた。
 ヤマトは何も言わずに、一本釣の背中に手を回して涙を流す。その側で、ダンジャックはそこに立ち尽くし、頬を伝う涙をそのままにしていた。

 一本釣の涙が収まってくると、ヤマトはしっかりした口調で二人に言った。
「ボク達はこれまで、ピーターとフッドを元に戻すことを考えてきた・・・」
 一本釣は既に顔を上げ、ヤマトを見ている。
「そして極力、パンゲ六大層の争いに干渉しないようにしてきた・・・」
 ダンジャックは涙を拭いた顔を、ヤマトに向けている。
 ヤマトは二人を順に見た後、表情に決意をにじませて、はっきり言った。
「けれどボク達は今、別の決断をしなくてはならないのかもしれない」
 ヤマトは眉をしかめて、
「・・・・胸騒ぎがする・・・・。アリババがパンゲに現れて、何かが動き始めた・・・・・・・」


 4へ