パンゲ編




 火の章 (4)



「アリババは、ボク等とは比べ物にならないほど強大な魔力をもって、このパンゲに出現した。金の大層のゴーディは、選ばれし天使達の力によって、アリババが召喚されたと言っていたそうだ。ハムラビやゴーディ、ラシア・・・。・・・ラシアの力を手に入れるために、ゴーディはボクらを金の大層に誘き寄せた」
「ラシアが牛若に与えた力を、あの女がふんだくったってことだな」
「ああ。・・・でも、ラシアは自分の意思でゴーディの元に帰ったと、牛若は話していたよ」
 腕を組んで険しい顔をする一本釣。そして、話を続けるヤマト。
「ボクが出会ったアリババは、はじめ魂の無い人形のようだった。姿は昔と同じだったよ。・・・だけど、今まで見たこともないような、厳しくて、・・・恐ろしい鎧をまとっていた・・・」
 彼の身を包むのは、闇から出で光を滅する暗黒の恐怖。
「アリババが目覚めた時、ボクは逃げるしかなかった・・・」
 包帯を巻いた首の辺りが疼く。
「ゴーディはアリババを『魔界君主』と呼んだ」
「魔界君主?」
 一本釣がオウム返しに聞けば、
「ボクにも未だ、それが何を意味するのかは分からない・・・」
 不思議そうにダンジャックが言う。
「・・・妙な称号だな。ハムラビが自分の配下として、アリババを呼び出したのだとしたら、何故、君主がアリババなんだろう・・・?」
「・・・ゴーディは源層界の神が関わっていると口にした。アリババは、ボクらとは全く違う目的をもって、パンゲに召喚されたのかもしれない」
 こう言うヤマトに、一本釣が、
「この件に、異聖神メディアが絡んでいるというのか?曼聖羅が新河系に組み込まれた今、曼聖羅の復興なんぞハムラビの理想は形骸化している!」
「うん。ボクもそう思う。・・・ゴーディもメディア様とは明言しなかったんだ」
 では、誰か?ヤマトは胸の内の苛立ちを募らせる。
「ボクらは多くのことを知らない。アリババが魔界君主と呼ばれる理由も。アリババが魔界君主となった経緯も。一体、このパンゲで何が起ころうとしているのか。そもそも、何故ボクらがパンゲに呼び寄せられ、各大層に別れて復活しなければならなかったのか。その理由さえもボクらは知らない!」
 ヤマトは苦々しく息を吐く。
「・・・・・ボクらはボクら自身のことすら分かっていないんだ・・・・・・」
 ヤマトは話すのを止め、目を伏せる。
 部屋がいっとき、シンと静まる。それを破る、苦渋を滲ませる一本釣の声。
「・・・・・・本当にアレは、アリババだったのか?」
 一縷の望みにかけようとする一本釣の問いに、ヤマトは応えてやれない。
 闇に捕らわれ眠る彼は、・・・・すぐに抱きしめてやりたい・・・・切ない懐かしさを感じて、けれども、自分の首を締め上げる眼差しにあったのは、信じられない強い殺意だけである。
(・・・・・・分からない・・・・・・)
 ヤマトの心は繰り返しつぶやく。
「確かにオイラ達は、未だ何も分かっちゃいないみたいだな・・・」
 ダンジャックは二人に向かって言って。
「・・・・でも、このパンゲで、傍観者ではないってことは、はっきりしてる」
 悲しく眉をさげた。
「オイラ達は、戦うことしか許されないのかな・・・・・・」

 ダンジャックは一本釣の肩に手をおいた。
「一本釣、今夜はここまでにしよう」
 シスの後姿に視線を流した。
「もう、夜も遅い・・・・・・」
 ソファに座って動かず、シスは黙し続ける。
「お前も、今は休め!」
 ダンジャックはヤマトに穏やかに言った。
「まだ、・・・・・・・急いで、答えはださなくていいんだ・・・」
 ダンジャックは一本釣の背中を押すと、自身も踵をかえす。去ろうとする二人に気付いたヤマトに構わず、シスの横を通り過ぎて、さっさとドアを開ける。一本釣はうなだれ、ヤマトが二人の側に行った。ダンジャックはヤマトをまっすぐに見て。
「・・・オイラ達は、どんなことも乗り越えてきたじゃないか!」
 そう言い残し、ゆっくりドアを閉めた。
 二人が消えたドアの前で、ヤマトはしばらくの間、立ち尽くす。
 そして、振り返って言うには。
「シス。ごめん・・・・・・・」
「・・・・・・。何故、私に謝るのです?」
 シスはソファから立ち上がった。
「今日は、こちらの部屋で休んでいきなさい。では、私は未だ用事があるので」
 シスは首を少し傾け、軽く微笑んでから、ヤマトに背を向ける。
 ヤマトはシスの気持ちを察して歩き出した。先程まで自分が休んでいた部屋に続くドアへと。
「お休みなさい、ヤマト」


 一本釣とダンジャックは中庭に出た。
 シスの居城である宮殿と、彼等に割り当てられた館、・・・シスは水の大層と森の大層から離れた二人に居場所を提供している・・・、との間にある大きな中庭には冬でも葉を落とさぬ木々の木立と、中央には噴水がある。中庭の大きさに比べれば、割りかし小ぶりの噴水ながら、白い大理石でできたそれには、幾何学的な模様が細かく刻み込まれていて、シンプルな美しさがある。昼夜も問わず、清らかな水は、とうとうと噴出し続ける。乾季で水不足の折にも、この噴水の水だけは絶えることがなかった。というのも、この噴水は昔、未だ六大層に争いがなかった頃、水の大層のハムラビ・シーゲルから、風の大層のシス・ウィンディに贈られたものだから。そのことをヤマトもダンジャックも知らぬが、一本釣は、そこはかとなく感じ取ることができる。残り香のように残る、水の大層の力というヤツだ。そして、それが彼には忌々しい。
 一本釣は噴水の縁に腰をかけて、だんまりしている。
 ダンジャックは側に立って、空を見ている。ヤマトと別れてここに来るまで、二人は一言も会話を交わさなかった。夜空にはちらちらと星がまたたいていたが、月はなかった。邪魔になりそうな雲もなく、月がのぼってもいいものを。
(ああ、そうか)
 と、ダンジャックは思った。おそらく新月だ。月の満ち欠け。
 ダンジャックは、このパンゲラクシーという世界を常々不思議な世界だと思っている。この世界は天聖界や次界とは違って、定期的に月が満ちたり欠けたりするのだ。勿論、ダンジャック達の世界にも、三日月といったものはあるけれど、月なんて気紛れなもんである。月だけではない。パンゲはいろいろな意味で、ダンジャック達の故郷とは似ているようでいて、違う。
 パンゲの人々は自分達に優しく接してくれるけれど、時折、ダンジャックの胸に去来するものがある。
(そう・・・。オイラ達は、遠くに来てしまった・・・・・・)
 風が吹いて、噴水の冷たい水滴がダンジャックの頬に当たった。
「・・・・・・一本釣・・・・・・」
 ダンジャックは声をかけた。
「・・・もう、休もう」
 一本釣は返事をしない。
「一本釣・・・・?」
 ダンジャックは小さな声で、再度呼びかけた。
「・・・・・・。すまない・・・・・・」
 うつむいた一本釣はやっと答えた。
「ピーターやフッドだけでなく・・・・・・。アリババまで悪魔にさせてしまった・・・・。俺がハムラビのヤツをそのままにしていたからだ」
「・・・何、言ってるんだ」
 ダンジャックは努めて落ち着いた声をだした。
「ハムラビを倒していれば、・・・・・・」
 一本釣は右手でいきなり、噴水の水を思い切り叩いた。
「牛若の死を招いたのは、俺だ!」
 声を激しく荒げた。
「俺がハムラビをさっさと始末すべきだった。あの時!チャンスは幾らでもあったのに!俺しかヤツを倒せないっていうのに!ヤツを倒していれば、こんなことにはならなかったんだ!」
「一本釣!勘違いするな!水の大層を攻撃しなかったのは、みんなで決定したことだ。お前が責任を感じることじゃない!」
 立ち上がった一本釣と真っ向から向き合う。
「ハムラビ一人を倒したからといって、全てが解決するとは思えない。お前も感じてるはずだろう?!このパンゲは、六大層の調和の上に成り立っている。一つの大層が欠けてもならない」
「けれど、既に金の大層は滅んだ!同じパンゲの、水の大層によって」
 ギリッと、一本釣は睨んだ。
「俺がハムラビをたたく」
「一本釣!」
 一本釣はダンジャックの伸ばした腕を振り払い、後ろを向いた。
 声の抑揚を抑えて、語るように言うには。
「・・・牛若が金の大層でケジメをつけたように、俺も俺自身の大層で、・・・水の大層でケジメをつける」
 一本釣は背を向けて歩き出した。
「すまない。ダンジャック」
 光の灯る回廊とは逆の方へと歩いていく。
「一人にしてくれ・・・・・・」

 残されたダンジャックは、中庭に立っている。
「ダンジャック様・・・・!」
 弾んだ声が後ろからして振り返れば、メンゴクウが肩で息をしている。自分達の後を急いで追いかけてきたらしかった。
「本当に申し訳ございませんでした・・・・」
 と、長い尻尾を下に下ろし、謝るメンゴクウの肩をダンジャックはポンポンと叩いた。
「これは、お前のせいじゃないよ」
 目を細めて優しく言う。
「それに、お前はヤマトを助けてくれたじゃないか。金の大層からヤマトを連れ帰ってくれて、本当に感謝してる」
 メンゴクウはダンジャックを見上げて、ごしごしと手で目元を拭く。
 ダンジャックは独り言のように。
「・・・・・・これは、誰の責任でもないんだ・・・・・・」
 メンゴクウは涙を拭き終わるとダンジャックを見て、ダンジャックも、励ますように、うんと言った具合に見返す。
 メンゴクウはキョロキョロと辺りを見渡した。
「一本釣様はどうされましたか?」
「先に帰ったよ」
「・・・大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だよ。アイツは」
 ダンジャックはメンゴクウに微笑んでみせる。
「アイツは強いヤツだから大丈夫。たださっきは、・・・・」
 ダンジャックは一本釣が消えた方を見詰めた。
「一本釣は牛若と、一番仲が良かったんだ・・・・・・」
 メンゴクウは尊敬の眼差しをダンジャックに向ける。
「ダンジャック様はお強いですね」
「・・・オイラが?・・・ナゼ?」
 ダンジャックが薄く笑った。
 このダンジャックの意外な反応に、メンゴクウは多少どぎまぎして。
「だって、ダンジャック様だって悲しいのに。・・・冷静に対処されようとされているから」
「オイラはちっとも冷静じゃないよ」
 すぐにダンジャックは言い切って、顔を空に向ける。
「・・・今までないぐらいに動揺している。どうすれば良いのか、全く分からないぐらいに・・・」
 ダンジャックの声の調子は、相変わらずしっかりしている。メンゴクウは眉を下げて、ダンジャックの表情を伺ってみるが、黒い影になっている。
「でもオイラは、もう、これ以上、・・・・大切なものを失いたくないんだ」


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