・・・・・・好きだよ。
繰り返し何篇も唱える。
・・・・・・好きだよ。
干からびた心に刻み込む、存在の証。
・・・・・・好きだよ。
気が遠くなるほど遠い、甘く暖かい記憶の欠片。
僕はソレにすがりつくんだ。
フックダイルDは朝の浜辺に佇むピーターに声をかけるかどうか決めかねていた。
水の大層の海から朝日が昇ったところで、水平線の彼方にまで連なる波のきらめきと、澄み渡る空に伸びる艶やかな光の帯をひきつれ。
彼女は他を寄せ付けぬ冷たさをまとって、そこに立っていたのだ。
彼は彼女の時間の邪魔になることを恐れていたし、また、このまま、美しい彼女の姿に見惚れているのも悪くはないと思った。
しかし百戦錬磨の彼女であるから、既に彼の思惑などお見通しだったようで、
「何時まで、そこで突っ立ているんだい?」
と、振り向いたピーターはニヤリと笑った。
彼女のまっすぐで長い赤い髪が艶やかに光り輝く。
彼は自分の主人に朝の挨拶をして、邪魔をした無礼を謝罪し、彼女の横についた。
それから二人はしばらく声を発することも忘れて、眼前に広がる清らかな早朝の景色に見入っていた。先に沈黙を解いたのは、ピーターの方。
「ここは美しいところだね」
彼女は独り言のようにつぶやく。
「僕は美しいモノが好きだ」
彼女は満足げに笑う。
その横顔がいつになく光輝いている理由を、フックは知っている。
彼女の待ち人がパンゲに現れたからだ。
フックは複雑な想いを胸に隠しながら、ピーターの話に耳を傾け続ける。
「ねえフック。好きという感情は、とても重要なことだよ」
ピーターはフックに顔を向けることなく続けた。
「それが自分と他人を分ける証なのだからね」
「・・・・・レディ、・・・・ピーター・・・」
フックダイルDは、彼女の意識が、此処にはないモノに向けられていることが、なんだか口惜しくなってきて、
「アナタのそんな清清しい笑顔を初めて見たような気がしますよ・・・」
「そうかい?」
彼自身、少々意地悪く感じる言葉を、ピーターは軽くいなす。
「水の大層にやって来ても、アナタはいつも、・・・・どこか寂しそうだった・・・」
フックは思う。けれど、今日のアナタは違う。
「それは僕の中にぽっかりと、大きな穴が開いているからさ」
ピーターは彼の心を見透かしているかのように言った。
「決して埋められることのない、大きな大きな穴がね・・・」
彼女は両腕を後ろに回して、首をちょっとかしげ、上目遣いの視線をフックに投げる。
「僕とフッドは同じようでいて全く違うんだよ」
自分をまっすぐに見つめるフックに、ピーターは満足気に目を細めて。
「泥は水で洗い流せる。けれど、炎で焼き尽くされて灰になった心は、・・・思い出は・・・、完全には元通りに戻せないんだ・・・」
ピーターは再び明けた空に目を向けて、一歩二歩と歩き出した。
フックは彼女の後ろから、彼女の後をついていった。
「今日の午前にはね、アリババのお披露目があるんだよ」
サクサクと砂浜を踏みしめていく。
「御覧。あそこでやるんだ」
彼女が向いた方へフックが横向けば、白亜の宮殿が海に浮かんでいるようである。純白の鳥が大きな翼を広げているよう。中央の神殿部を中心にして、左右対称に、宮殿が横に長く広がる。一部は海に向かってせり出しており、それが、海上に浮かぶと見える所以でもある。海と建物が接しているところの、幾つか、アーチ状にくりぬかれている部分は、水路の入り口になっていて、海の水が川のように、宮殿の内部に流れていく仕掛けになっていた。
水の大層の宮殿の美しさは、朝日の下で、より一層ひきたつように出来ている。汚れなき純白は、朝日の金色の光をきらびやかに反射する。宮殿の表は太陽の昇る東を向いて、海に続く。そして、陽が沈む頃には、宮殿の背から燃え上がるような夕焼けが拝めるというわけだ。
「まったく、『ワルモノ』らしからぬセンスの良さだよネ」
ピーターはケラケラ笑った。
彼女の歩みが止まり、フックも足を止める。彼女は忠実なる部下の方に振り返ると。
「君は用意をしていなよ。お許しがで次第、行くよ」
海風が彼女の赤い髪をサラリと揺らした。
「フック。君が好きなものは何だい?」
試すような素振りをする。ピーターの瞳が輝いて見える。
「俺は、・・・」
と、赤いバラが飾られた黒のハットを目深に被り、顔を伏せるフックに、ピーターは。
「答えなくていいよ」
楽しげに軽やかに笑い、くるりと向きを変えた。
「謎は謎のままの方が美しいのだから」
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