黄金姉妹 前編


「姉さん、姉さん」
 温室の少しだけ開けたドアの隙間から、ラシアがひょっこり温室の中を覗き込んで手招きをしている。ゴーディは側に控えていた錬金三術師の一人である金のプラチアに指示を送り、自身はドアの方へとやって来る。
「ねえ、姉さん。さっきの方はどなた?」
 ラシアは愛らしい瞳を輝かせて尋ねる。
「水の大層からの使者だよ」
 と、ゴーディは素っ気無く答える。片腕を壁についてもたれかかり、ラシアを見下ろす。いつもそうするように、温室の天井から直接射し込む陽の光のひさしになる。
「そう。とっても素敵なお方ね。目元がとても涼やかで」
 ラシアはとてもウキウキしている。
(また、ラシアのワルイ癖が始まった)
 ゴーディはちょっぴり呆れて、背の高い姉を上目遣いに見る妹を眺める。
 金の大層を訪れる使者を覗き見ては、使者の吟味に励むのだから。
 ラシアが自由に金の大層を見られるようにと設置した遠隔操作型カメラ。それを取り上げてしまおうかとも思ったが、それは余りにもカワイそうだな・・。
 全面ガラス張りの温室にシャッターが閉まり始める。壁や天井のガラスに。不快な機械音をほとんど立てないのも珍しいが、その形状も変わっている。ほぼ無色の透明なシート状のもので、ラシアにとって有害な光だけを遮るように出来ている。中から見える外の風景は変わらないが、おまけとして外からは中が見えないようにもなっている。初めからそのようにしておけば良いのだが、ラシアにとって有害な光は、温室の植物が生きていくために必要な光だ。
 プラチアが準備を整えて、ラシアが温室の中に足を踏み入れる。
「フォンデン・ショコラが食べたいわ。この前、本で見たの」
 白い丸テーブルに着いたラシアは、給仕にきたプラチアに、にっこり言う。
「フォンデン・ショコラですね」
 鳥のくちばしをもつプラチアは、彼女の電脳でその言葉を瞬時に検索する。その形状、味、作成方法・・・・。
「ゴーディ様は?」
「私はいい」
 ラシアと向かい合って腰を下ろしたゴーディは手を振った。
「少々お待ちくださいね」と、プラチアは、温室の、南国を思わせる植物が生い茂った小道の中に消える。
「美味しいのに」
 ラシアが頬杖をついて口をとがらす。
「多分ね」
「あいにく、水の大層の使者と会食をすませたところだ。腹は空いてない」
「そうそう!今日はどんな用事でいらしたの?」
 ラシアは興味津々で身を乗り出す。
「・・・たいして、面白いことでもないさ」
 ゴーディはテーブルの脇に広げていた書状をラシアの方にやった。
 内容を簡潔にするとこうだ。
『残念ながら貴殿の所望する量の水を、期日までに調達することは困難である。しかしながら、貴殿の所有するイの型光電変換装置を御提供頂ければ、考慮の余地はある』
「ハムラビさんって、本当に字がお上手」
 書状を眺めてラシアは感心したように、ほうと呟く。
「面と向かって物を言えず、書いて済ませるような奴だ」
 ゴーディがぶすっと愚痴をこぼす。ラシアは書状から目を離して、クスリとし。
「姉さん、コワガられてるんじゃないの?」
 読みかけの書状をくるくる丸めながら。
「覚えてるわよ、姉さん。ハムラビさんをひっぱたいて泣かしたことあったじゃない」
「あれは私じゃない。シスだ」
 ゴーディは椅子の背にもたれかかる。
「シスさんが?私が未だ子供だった時、大層のみんなが、全員、集まった時のことよ」
「そうだよ。シスがハムラビをビンタした」
「信じらんない。あんなに、静かで優しい人なのに。なんで?」
(私ならいいのか?)
 とゴーディは胸の内で思いつつ。
「さあ・・・・。なんでだったかな・・・・・。理由は忘れた」
 大層の主が一同に介した席でのことである。
 あの普段は冷静なシスが顔を真っ赤にして、年下の、未だ彼女よりも背の低かったハムラビの頬を思いっきりひっぱたいた。その光景だけは、やけにはっきりと覚えている。
「ラシア様。フォンデン・ショコラですよ」
 プラチアが出来立てのフォンデン・ショコラを持ってきた。黒くて、プリンのような形をしたケーキに、生クリームが横に添えてある。ラシアの前にそれを置くと、ラシアはワーイと子供のように喜んで、フォークを手にする。流石、錬金の術の成せる技。スウィートの作成も瞬時に完了。
 ゴーディはプラチアが入れた紅茶に口をつけながら、物を思う。
(この夏の水不足、水の大層とて例外ではなかったか・・・・)
 毎年、水の援助の要請に対し、すんなりと水を送ってきたものだが、・・・但し、押し付けがましい書状をつけてだが・・・、はなから『困難』としてくるのは、初めてである。
(もちろん、ハムラビがケチだということもあるがな)
 ゴーディは思い出してムスッとする。
(こちらの弱みにつけこんで、テクノロジーを盗もうとするなど、ハムラビらしい。まあ、こちらも旧式を送りつけるつもりだが・・・)
 金の大層が誇る、最先端の設備を備えた観測センターの計測値は、例年にはない異常値を示していた。近年ダラダラと続いていた異常気象が、顕著に現われ出している。
 雨が全く降らない時期もあれば、局地的に発生する集中豪雨。住宅地を襲撃する竜巻。相次ぐ大きな地震。木々が枯れ始め、動物の声がしない沈黙の森。
 このパンゲに異変が起きているのは明らかだ。しかし、その原因と対策、その先に待ち構えている未来については、解明に至ってはいない。
 自然を読む錬金術師の誰かが、このパンゲの異変を六大層の調和が崩れてきたためだと解いた。『金・火・水・森・土・風』を司る六大層の調和の上に、パンゲが成り立っている。けれども、各大層が己の大層の利益だけを重んじ、他の大層をないがしろにしつつある。その不調和がパンゲに悪影響を及ぼしているのだ、と。
(そんなものは、感情論にすぎん)
 とゴーディは一蹴しているのだが。各大層の主が自分の大層の利益を考えるのは当然であろう。そして、そのように歴史は重ねられてきたのだ。けれども、この世界が、・・・最も高度な技術力をもつ金の大層が、ラシアの力無しでは維持できない『不条理』を考えると、その意見も完全に無視はできない。
 しかし、だからといって、どうしろというのだ?
「姉さん、これ、美味しいわ。試しに食べてみてよ」
 ラシアがゴーディの前に、フォンデン・ショコラの乗った皿をずらしてきた。手付かずのフォンデン・ショコラは、新しくゴーディのために用意されたものである。
「これくらいなら一口でしょう?中にチョコが入ってる」
 ゴーディはフォンデン・ショコラにフォークを入れた。中から、ドロっとしたチョコが流れ出して、ホカホカのそれを口に入れる。
「難しいことを考えている時は、甘いものを食べるのが一番なのよ」

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