パンゲ編




 金の章 (2)



 「アリババですって?!」
 牛若は目を大きく見開き、3mほど距離を離したゴーディに問う。
 彼の手に未だ武器はない。宙を舞う、軽やかな身のこなしだけで、ゴーディの剣の連打をかわしている。
(なあに、今のは挨拶代わりよ)
 ゴーディは乾いた唇を舌でなめ、変わらない牛若の甘さを、胸中、嘲る。
「お前にとっては、懐かしい名だろうな・・・」
「何故、アリババがアナタの主と!アリババが、何故、このパンゲに!」
 騒ぎ立てる牛若に対して、ゴーディは実に涼しい顔で。
「そうだな・・・。舞台を去りゆくパンゲアクターに、このドラマのシナリオでも教えてやろうか」
 と、彼女は大剣をおろす。
「お前も気が付いているのだろう。この気配の正体を。いや、気が付いたからこそ、此処にノコノコと、誘き寄せられてきたのだな」
 彼女は薄い笑みを浮かべ、甘く呟く。
「お前には、どうしても、この金の大層に来て欲しかったのだよ。・・・アリババ様のために」
 広間の高い天井は、純白の石を積み上げて出来た、美しきドーム。石は自ら、白い光を放ち、場を照らしている。それは、空しく崩れかけている。
 恭しく、彼女は天を仰ぐ。
「間もなく、アリババ様が、このパンゲに降臨する。偉大なる、魔界君主として」
「魔界君主とは、・・・悪魔?」
 悄然と尋ねる牛若。彼女は答えず。牛若は怒りを露わに。
「フッドやピーターのように、今度は金の大層の主たるアナタまでもが、アリババを悪魔にするというのか!」
「ハッハッハッハッ!」
 彼女は高らかに声を上げる。
「あのような小者達と一緒にしてくれるなよ!アリババ様の復活は、源層界の神、直々の御意志である!」
 彼女は雄弁に、熱く語る。
「曼聖羅の復興の命を受けし、水の大層ハムラビシーゲルの元。パンゲに仇なすお前達、パンゲアクターどもの粛清に乗り出されるのだ」
(曼聖羅!)
 牛若はギリッと彼女を睨んだ。
「曼聖羅はすでに新たな世界と和合された。メディア様は、アリババを、このような戦いに巻き込むことを望んではいらっしゃらないはず!」
「異聖矢の命をかけた旅路も、今となっては、途方もない『徒労』であった・・・」
 牛若の言葉を受けて、ゴーディは事も無げに言い放つ。
「しかし、それがどうした・・・?」
 全く動じない彼女の言動に、牛若は表には出さぬが驚愕する。
 彼女が言った源層界の神とは、異聖神、メディア様のことではないのか?
 別の神のことでも指すと言うのか?
「・・・アナタはアリババが主と言った。まさか、アナタは水の大層に荷担しているのですか?水の大層のハムラビこそが、この金の大層を滅ぼした張本人だというのに!」
「ハッ!」
 ゴーディは強く鼻で笑う。
「お前の口から、そのような言葉が聞けるとはな。依然として、見事なる偽善ぶりよ・・・。この金の大層を滅ぼしたのは、お前自身ではないか!」
 黙して返事を返さぬ牛若を、突き放すが如く。
「最早、どうでも良いよ!私にとっては、水の大層も、このパンゲさえも。私は、只、アリババ様の御意志に従うのみ!それだけだ」

 思わず感情的になった心を、彼女はすぐに納めて。
「さて、そこで、お前の出番だ、」
 と、仕切り直す。
「アリババ様を真にパンゲに召還するには、選ばれし天使の力が必要。例えば、ハムラビ、この私・・・」
 ゴーディが持ち上げた、鋭く研ぎ澄まされた大剣に、彼女の顔が映る。
「コマはすでに揃い、最後の一つを残すまでになった。・・・それが、お前が『黄金飛翔』として奪いし力。金の大層のもう一人の主、ラシアの力」
 彼女は悠然と両腕を広げる。
「残るラシアの力を差し上げ、アリババ様は完全体として目覚められる。・・・だから、返しておくれ。私の亡き妹の力を」
 牛若は面を伏せ、苦しむ声で言う。
「私はアナタとだけは戦いたくなかった。アナタから大切な家族を奪い、アナタを苦しめたのは、この私だから・・・」
 このパンゲで巡り会いし、ラシア。愛しきラシア!彼女は自分を慕い、自分も彼女を想った。彼女は、彼女の命の終わりを覚り、金の大層の滅ぶべき運命を知っていた。そして彼女は、彼女の力の全てを自分に託し、この世界から消えたのだ。まさに、此の場で。輝きを失った彼女の体は、無情にも崩れ去った。妹の最期の姿を目撃した、姉、ゴーディの悲痛な絶叫を置き去りにして。
(・・・ラシア。アナタはゴーディとの戦いを決して許さぬはず)
 けれども、苦楽を共にした友の清らかな魂は、邪悪な力に冒されようとしている。
(ワタシはまた、アナタを裏切る・・・)
 顔を上げた牛若は、ゴーディを見据え怒鳴りつける。
「しかし!それを知ったからには、是が非でも、アナタには負けられない。アリババを決して悪魔にはさせない!」
 七童より授かりし武器を、錬金の術にて空より出現させる。短い柄に大きな飾りのついた鍔、幅広で反りの強い刀身を持つ刀を左手に、三日月形で内側に刃がある鎌を右手に。いざ。二刀流、銀河流剣の妙技をご覧ぜよ。
 ゴーディは、歴戦の勇者たるパンゲアクターが一人、牛若の臨戦態勢を目の前にしても、不敵に微笑む。彼女にしてみれば、これでようやく牛若が、真剣に自分と戦う気になったというもの。かつての仲間を守るため。ヤツはやっと覚悟を決めた。
(・・・そう。本気のお前に勝たねば、勝利に価値などない!)
 彼女に向かって襲い来る牛若を、迎え撃たんとする。
「全力で来い!牛若!」


(アリババ!アリババ!)
 ヤマトは暗闇に張り巡らされた糸の網をかきわける。一心不乱に、がむしゃらに、その気配のある方へと突き進む。
 糸は、ときに紅蓮の炎の熱さを帯び、ときに冷徹な氷の冷たさをもって、ヤマトの行く手を阻む。鋭利な刃となって、ヤマトの頬を傷つける。触れれば、少しづつ少しづつ、ヤマトの理力を確実に削り取っていく。
 しかし、ヤマトはものともせずに、遂にそこに到達する。
 四方に伸びる糸の中心に、大きな糸玉がある。何重にも巻かれた、大きな糸玉。
 その糸玉の中に、糸により体を縛られた、逆さ吊りの姿があった。
 いや。上も下をも知れぬ、この状況で、果たして、どちらが逆になっているかどうか?
 闇で色は分からぬが、形は朧に分かる。
 両膝を軽く曲げ、上体はわずかに前屈みになっている。巻き付いた糸で、細部は見えないが、全身を厳めしい鎧で覆い、頭に兜を被っている。兜には、左右に大きく突き出した角をいただき、額の宝石に付いた、見覚えのある羽根飾り・・・。
 長く量の多い、柔らかな髪が、天使の翼のように、ふわりと広がっている。
 うつむいた、その顔は、目を閉じ、険しさがあるも。
 まさしく、アリババである。
 込み上げる懐かしさに胸を熱くし、ヤマトは「アリババ!」と彼の名を呼ぶが、いつもの陽気で愛すべき声が返事を返すべくもなく、気味悪い静けさに、低くて重い鼓動のような音が、小さく響くだけである。
 「ああ!」とヤマトは、彼を絡め取る糸玉の端を両手で力任せに叩き、言葉にならぬ、怒声とも嘆きともとれる叫びをあげて、悲しき再会に憤る。
(アリババ!)
 ヤマトは糸玉に手をかける。
(今、助ける!)
 彼等を捕らえた邪悪な意識を帯びた糸から、彼を救い出すべく、糸の束を引きちぎる。
(絶対に!)


 (3)