パンゲ編




 金の章 (5)



(・・・・もう少し、・・なんだ・・・)
 ヤマトは指先で糸をたどり、自分の感覚を確かめた。未だ、動く。
 気づかぬ内に、うつ伏せに倒れていた。ヤマトは、かろうじて意識を繋ぎ留めた。
 体が重くて堪らない。
(・・・・もう少し!)
 ヤマトはエイヤッと自分を奮い立たせて、両腕で床を押した。
 けれども、体は上がらない。がっくり崩れたヤマトは目を閉じたまま、(やれやれ・・・)と、ひとまず一呼吸を。
 そして再び、ウンッとふんばり、今度は上体を起こすことができた。両腕を床について、時間をかけてヤマトは頭を上げた。
 アリババはもう目の前だ。糸を掻き分け掻き分け、腕を伸ばせば、ほら、彼の広がった柔らかい髪に触れるところまできている。糸玉にがんじがらめに捕らわれたアリババは、人形のように青ざめていて、全く動く気配すらないが。ヤマトは一心に彼を見入る。
(・・・・・・アリババ・・・・・・)


「どうした!牛若!」
 姿無き空間に、彼女の挑戦的な声が反響する。
「これでよもや、終わりではあるまいな?!」
 黄金柱に取り囲まれた牛若は、すでに鎧の大半を失い、満身創痍の態である。それでも彼は、二つの武器を構えるのをやめずに、目の輝きは未だ失われてはいない。
(ふん!)
 ゴーディは、がむしゃらになってでも反撃をしかけようともしない牛若を鼻で笑いつつも、防戦にただ甘んじるだけの彼の行動を怪しみもする。
 青いゴーディが背後から切りつける。牛若の後ろに結わえた髪を切る。も、牛若は身を飛んで、それ以上の攻撃から逃れた。
 ゴーディの奥義『極楽剣の舞』に、牛若は成す術もないのか?
 いや、牛若は寸でで身をかわし、ダメージを常に最小限に抑えていた。
 彼女の動きを冷静に観察し分析していたのだ。
 時折、ゴーディが何人もいるように見えるが、それは高速で動いているための残像のようなもの。・・・右の黄金柱にいた彼女が、瞬く間に左の柱に乗り移っている・・・。彼女の高速の動きに追いつくのは不可能である。が、彼女の動きの軌跡には一定の規則があるのだ。
 牛若はそれに気づいた。
 左前の赤いゴーディが、まさに、こちらに襲い掛かろうとする。
 彼を取り囲む黄金の柱は、ただ彼の周りを浮かんでいるのではなく、一瞬だが動く時がある。
 それが、まさに今。
 一面が鏡になっている黄金柱が、わずかに傾き、すぐに元の方向に直る。
 鏡により反射した光は垂直に進み、相対する鏡に飛ぶ。
(黄金柱は鏡。そして、彼女は光!)
 ゴーディが消える。牛若の分析を検証する時が来た。
(此処っ!)
 先程、ゴーディがいた柱の鏡が向いた方角。その先にある柱から反射される一筋の光。
 刹那、鼻先に出現したゴーディの刃を、初めて牛若はしっかりと正面から止めた。
 したり、とした牛若に、しかし、重なった武器越しに見える彼女の口元がゆがんだ。
「残念・・・・」
 ゴーディの姿が忽ち掻き消える。彼女の大剣だけを残して。
 そして、牛若の右手からこぼれ落ちる三日月形の鎌と、牛若の右肩に走る激痛。見れば、背後から牛若の右肩を貫く、鋭き黄金色の刃の切っ先。
 牛若は歯を食いしばり、咄嗟に左手の刀の柄で、切っ先を激しく打った。牛若を突き刺した黄金色の刃は粉々に砕け散り、透明な破片はチカチカと煌いた。その間にゴーディは、自分の大剣を取り上げる。
 肩からの出血を理力で抑えようとする牛若を横目に、彼女は美しく磨き上げられた大剣を満足げに掲げる。彼女の不敵な微笑みが刀身に映る。
「これも鏡ぞ・・・・・・」

 牛若の上半身は真っ赤に染まり、力の入らなくなった右腕をだらりと伸ばす。それでも、左手に握った刀を、決して彼は下ろそうとはしない。
「牛若・・・・・・。もう、ここまでだ。アリババ様より力を授かった私に、お前は勝てないよ」
 ゴーディは事も無げに言い放つ。
 牛若は痛みに堪えながら、ニコリとして答える。
「アリババを悪魔にさせるわけにはいきません・・・」
「勝機のない相手を、これ以上いたぶるのは、私の趣味ではない」
 ゴーディはそう面倒くさそうに言い、上に向かってパチンと指を鳴らした。
 牛若を囲んでいた黄金柱が一気に砕け散り、真っ暗になった。
「これで終わりだ」
 ゴーディは言い残し、静かになった。
 真の闇と沈黙が牛若を包んだ。
 牛若は目を閉じた。最早、視覚は何の頼みにもならない。頼りになるのは、この身に宿る戦いの感覚。幾多の戦いを勝ち生き抜いてきた者こそが得る勘。神経を集中し、牛若はゴーディの居場所を追う。
 近づく殺気。ピリピリと肌で感じる。何処だ?!
 ゴーディの気配は、極楽剣の舞と同様、ぐるりぐるりと辺りを舞う。何処だ?!
(右!)
 ひゅっと耳を掠めた音の方に、反射的に牛若は向く。
 が、その時、生暖かい何かが、牛若の頬に、ぽとり、落ちた。
(上だ!)
 牛若はすぐに狙いを変えた。それは、歴戦の勇士の直感である。
 見事、上から振り下ろされたゴーディの大剣をうける。そして、即座に右手で剣を握るゴーディの左腕を掴み。持てるありったけの理力を、牛若は一挙にゴーディにぶつけた。
「がああ!」
 金色に輝く理力の直撃を、ゴーディはまともに受け、彼女は宙から落ちていく。彼女の理力が生み出した術は解け、再び、舞台は白亜の宮殿の広間へと。光が戻る。
 そのまま落下していったゴーディは、結晶柱の残骸が散らばる床に叩きつけられる寸前で、目を覚まし、止まった。
 牛若は頬をぬぐう。ぬぐった手が赤い。これは、ゴーディの血?
 浮上してきたゴーディを見れば、ロングスカートの下に隠れよく分からなかったのだが、彼女の長い左足に大きな傷がある。膝下の傷から赤い血が流れだしていた。牛若にゴーディを斬った手応えはない。察するに、牛若の聖笛から逃れようと、ゴーディが自ら結晶柱を破壊した、あの時に、飛び散った破片によるものだろう。
 肩で息をするゴーディは大剣を構えるが、相当のダメージをうけたことは明白である。
 しかし、それは牛若も同じだ。


(6)