パンゲ編




 金の章 (9)



 崩れ落ちた街に、奇跡的にも建ち残ったビルディング。その中でも、最も高いものの屋上にゴーディはいる。
 眼下に広がる、各地方に続く幹線道路は、金の大層の宮殿を中心として、放射線状に伸びていたが、今は散乱した瓦礫が道の線をかき消そうとしている。
 金の大層の栄光の日々は、決して昔のことではない。つい、この前までのことだ。此処には輝きが満ちていたのに・・・。
 道路と道路の間を隙間無く埋め尽くした、錬金の技なる高層建築物の数々。夜空を昼とも見紛うが如く明るくしたネオンの光。
 しかし、その多くは、いまや醜い鉄の塊と化し、見る影もない。
 彼女は無表情で見下ろしていた。生まれ育った故郷の成れの果てを。
 向こうから飛んでくる牛若。
 それを認めた彼女は、へたりこんだメンゴクウの首根っこを引っ張り上げ、無理やり立たせる。少し間を空け、彼女の前に降り立った牛若を冷たくあしらうのだった。
「ヤマトはどうした?」
 牛若は武器をもたない両腕を広げる。
「私で十分でしょう?」
(まあ良い)と、ゴーディは思い、(どのみち、ヤマトも此処から逃げ出れぬ)
「メンゴクウを離してやってくれないか?」
 との、牛若の依頼。
「もとより。こんな小猿に用はないよ」
 ゴーディはメンゴクウの両足首を固めていた足枷、琥珀色をした透明な樹脂のようなものだ、を蹴り割って、メンゴクウの背中を荒っぽく、どついた。
 メンゴクウが足をもつれさせながら、倒れこむように、牛若の両腕の中に飛び込んでくる。
「・・・牛若様。・・・申し訳ございません」
 すっかりしょぼくれている、つぶらな両の目を潤ませて、こちらを見つめるメンゴクウに、
「コワイ思いをさせて、すまなかったね」
 と、牛若は体をメンゴクウの視線に合うように低くして、両の手を両の手でしっかり握り、メンゴクウを、その場に立たせた。
「いいかい、メンゴクウ。よく聞いてくれ」
 メンゴクウの耳元に口を近づけ、小声で言う。
「今、ヤマトは聖風花ライドに乗って、金の大層から出ようとしている。同じ風の系のキミなら、きっとヤマトを探し出せるね?ヤマトは気を失っているけど、決して起こしてはいけない。そのままキミはヤマトを守り、一緒に脱出するんだ。私がこのバリアを破壊するから」
「牛若様は・・・?」
「私のことは心配いらない」
 眉を潜めて牛若を見上げるメンゴクウを、励ますように微笑んで。
「ヤマトを頼んだよ」、と。
 牛若は屈めた体を起こす。
 が、背後ではしった戦慄に、牛若はメンゴクウを抱えて跳ね飛んだ。
 牛若は後ろを振り返る。
 ・・・こちらにゆっくり歩いてくる、・・・・・・あれは・・・、・・・・アリババ・・・・?

 空気が違う。
 ズシリと、体の芯にまで伝わる重圧感に圧倒される。彼が動く度に切り裂く空気が、ピシピシと悲鳴を上げる。いかめしい鎧で全身を覆った、堂々とした其の姿からは、恐ろしい邪気が放たれる。彼の長く豊かな髪は昔の様にふわりと広がっていても、そこに光はなく妖しく暗い。深く黒い暗黒の闇で身を包む。
 盾や鎧には、・・・肩当や胸当、膝当など至る所に・・、不気味な鬼の面が刻まれている。その鬼の顔が時折動いているように見えるのだ。炎の周りで熱せられて揺らいでみえるように、鬼の口元は歪んで邪悪な微笑を浮かべる。
 最後に見たアリババの、背中にはえた美しい天使の翼はもぎ取られた。代わりに鬼が憑いた、どす黒い血赤色のマントをなびかせている。
 アリババの頭には、見覚えのある額を飾る宝石と羽飾りは残れども、トレードマークとも言えるターバンは、威勢を揮う4本の角を飾りとした厳つい兜に変わり。
 顔に生気はなく、口を閉め、硬直した険しい表情からは、感情があることを感じさせない。
 ・・・あの表情を、コロコロと変えるアリババは?笑顔がよく似合うアリババは?
 ヤマトから話には聞いていたが、これでは全くの別人ではないか?!
「・・・・・・アリババ・・・?」
 牛若は口を開いて。
「・・・アリババなのですね?」
 かみ締めるように、その名をだす。
「・・・牛若です。私が分かりませんか?」
 それは、牛若との剣の間合いの手前まで近づいてから。
「・・・牛若・・・」
「アリババ!」
 その声はまさしくアリババ。
 剣を持たぬ牛若に、鬼を宿した大剣を上げたのだった。向けられた、剣の切っ先。
「・・・パンゲに仇名す者・・・。・・・ハムラビ様の御意思に逆らう者は、全て排除する」
 赤い瞳が牛若を見据える。
 氷の如く、冷たく輝ける瞳。
「・・・・メンゴクウ。早く逃げなさい・・・」
 牛若は目の前のアリババに注意を払いながら、自分の腕の内にあるメンゴクウに言った。
「アナタがヤマトを守るんですよ」
 牛若はちらりと優しい顔をメンゴクウに見せると、メンゴクウの体を思い切り横に突き飛ばした。メンゴクウの体は牛若から離れ、ビルディングの屋上から宙に飛び出す。
 メンゴクウは覚悟を決めた。キントン雲を空に出し、その上に飛び乗ると、颯爽と風になる。振り返ることなくヤマトの気配を目指して、旋風を巻き起こし超高速で空を飛ぶ。

「アリババ。ハムラビに従うのはアナタの意思ではありませんよね?」
 牛若はアリババに優しく語りかける。かつて、共に過ごした日々のように。
「・・・・・・」
 アリババに答えはない。立ち尽くし、表情を何一つ変えず、じっと牛若を見据え続ける。
「アリババ!」
 牛若は悲痛な声で訴える。
「アナタは私の大切な仲間だ!」
 ゴーディがアリババのすぐ隣に飛来する。
「アリババ様。ここは私が」
 と、剣をあらわし、ずいと一歩前に進んだ。
「なにも、アリババ様の御手を煩わすことはありません」
 まさに一触即発、臨戦態勢をとるゴーディと、動かぬアリババを前に、牛若は。
 ビルディングの屋上から飛び上がり、猛スピードで空を飛んだ。
「牛若!」
 スカートを翻し、血相を変えたゴーディが空へと飛び上がる。
「この期に及んで!」
 と、逃げる牛若の後を急ぎ追う。
 牛若は分け目もふらず、一直線に飛び続ける。ひたすら、金の大層の境界に向けて飛び続ける。その先は、ゴーディが張ったバリアである、金剛壁。
(まさかっ!)
 ゴーディは眉を吊り上げて、牛若の後ろ姿を睨んだ。
(お前の偽善ぶり!それこそ、私がお前を許せぬ理由だ!!)

 ヤマトを乗せた聖風花ライドが低空飛行を続けている。廃墟の影に隠れるように進んでいても、その速度は速い。
 ふと、ヤマトが目覚めた。
 どうして自分は聖風花ライドに乗っているんだろう?それに後頭部が少し痛い・・・。
 顔を上げると、自分のライドと並行してキントン雲を走らせるメンゴクウと目が合った。
「メンゴクウ・・・。・・・良かった。無事だったんだね・・」
 まだ、少し意識が朦朧としている。
「牛若は・・・?」
 答えぬメンゴクウに、ヤマトはすぐに跳ね起きた。
「まさか、一人でゴーディのところへ!」
「・・・牛若様はヤマト様と一緒に脱出するようにおっしゃいました。バリアは破壊するからと」
 身を乗り出して尋ねるヤマトに、メンゴクウはおずおずと答える。
 ヤマトは意識を集中させて、牛若の気配を探る。それが、ほんの微かな気配であっても。
 ヤマトは自動飛行を続けるライドに理力を込めて、ライドの行き先を強引に変えた。
 牛若の後を追う、はっきりとした大きな気配に、・・・それがどんなに禍々しいものであっても、心を捕らわれつつ。


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